ピサ (Pisa) 

ピサの斜塔で有名なトスカーナ州のピサへ行ってきました。
フィレンツェから電車に乗って約1時間半でピサへ到着です。
ピサ中央駅 (Pisa Centrale) からだと歩いて30分ぐらいかかるので、ピサのドゥオモ広場の最寄り駅になるピサ・サン・ロッソーレ駅 (Pisa S.Rossore) へ行きました。

ピサ中央駅を出発して少しすると、アルノ川を渡ります。
時間があれば、帰りの電車はピサ中央駅まで歩いて、その途中にアルノ川付近やピサの中心部を散策してもいいかなと思います。

ピサ・サン・ロッソーレ駅からは、歩いて10分でピサのドゥオーモ広場へ行けます。

住宅街を歩いていると、斜塔が見えてきました。

ポルタ・ヌオーヴァからドゥオーモ広場に入ると、大きな広場に洗礼堂、大聖堂や斜塔が堂々と建っていて圧巻です。

前日に斜塔へ上る時間設定のあるチケットを購入しようと思って、ホームページから手続きを進めますが、途中でフリーズしてしまいます。午前中はソールドアウトで、お昼過ぎの時間帯と夕方のみ2人~10人分ぐらい空席があるので、何度もしてみましたが毎回フリーズするので事前に買えませんでした。
とりあえず現地にいって、空きがあれば斜塔に上って、なければ写真をとって帰ろうと思っていました。
チケット売り場へ行くと、大きな画面に斜塔に上るチケットの時間ごとの空席状況が表示してありますが、全ての時間に10人以上の空きがありました。オフシーズンだったのでラッキーでした。
ということで、まずは斜塔からです。

ピサの斜塔 (Torre di Pisa、Torre di Pendente)

広場には柵に上って写真を撮ったり、斜塔を支えているポーズで写真を撮ったりしています。
支えているようにするポーズは、手と斜塔の隙間がないようにするのに、何枚もやり直していました。

予約時間の少し前に斜塔前に行き、列に並びました。
時間になると順番に中に入っていきます。
入った所のパネルに斜塔の大きさなどが書かれています。

ピサの斜塔は基礎の部分から58.36m、地上からは55mを越えています。
1173年に建設は始まりましたが、地盤沈下のため工事は中止されました。1275年に工事は再開され7階まで建てられましたが再び中止になりました。その後、傾斜の反対側に新しいフロアが追加された14世紀に完成しました。

完成した後も地盤沈下が進み、1838年と1934年に地面から水を取り除いたり、基礎部分にコンクリートを流し込んだりしましたが、上手くいきませんでした。

斜塔の中央の空洞になっている部分は4.5mです。

1990年から2001年までの工事で斜塔を補強し、セメントを注入したり、鉛を基礎部分に配置したり色々な修復が行われました。
2004年から2011年までは外の部分の石の修復が行われました。
1993年には傾斜5.5度だった斜塔が、2008年には傾斜3.87度になり、この先300年間は崩壊しないように修復されました。

階段は294段です。階段を上る時も、下りる時も、傾いてるのがわかるぐらいに引き寄せられます。

最後の階段を上ると、緑の多いピサの街並みを見渡せます。
大聖堂は修復中ですが、十字架の形をしています。十字の重なるところに大きなクーポラ (ドーム ) があります。

この斜塔でピサ出身のガリレオ・ガリレイが塔の上から、質量の違う二つの砲弾を同時に落とし、その二つの砲弾が同時に地面に到達する実験をしたそうです。

ピサ大聖堂 (サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂)
Duomo di Pisa (Cattedrale di Santa Maria Assunta)

ピサの大聖堂は、11~12世紀に建築されたロマネスク様式の大聖堂です。ルネサンス様式のフィレンツェの大聖堂よりも古い時代の建築様式です。

 

正面の上部4段は、アーチが沢山ならんでいて、それぞれのアーチに柱があります。下の部分の3つある扉の周りの幾何学模様が印象的です、

大聖堂の内部は重圧感を感じます。
中央の祭壇の手前左には、ジョヴァン二・ピサーノ (Giovanni Pisano) が1302年~1310年に制作した説教壇があります。1602年に修復のために解体されたままでしたが、1926年に組み立てられました。キリストの生涯のエピソードなどが彫刻されています。

主祭壇上の大きく描かれているのは、1301年から1320年に制作された、聖母マリアと聖ヨハネの間の玉座に座っているキリストです。キリストが持っている本にはラテン語でEgo sum Lux Mundi (私は世の光である ) と書かれています。

主祭壇の後ろには、旧約聖書のエピソードなどが描かれた絵画で装飾されています。

大聖堂も斜塔と同様に地盤沈下の影響で傾いているそうですが、見た目では傾いてるのに気づきませんでした。

サン・ジョバンニ洗礼堂 (Battistero di San Giovanni)

サン・ジョバンニ洗礼堂は、1152年からディオティサルヴィ(Diotisalvi) によって建築が始まりました。
洗礼堂の周りは約107m、高さは約54.9mあり、世界最大の洗礼堂で、ガリレオ・ガリレイもここで洗礼を受けたと言われています。

洗礼堂上部のクーポラ (ドーム) は、赤い瓦で覆われている部分と、鉛の板で覆われている部分があり不自然です。理由は予定されていたクーポラのフレスコ画もなく、資金不足だったなどと言われています。

内部にある洗礼盤はグイド・ビガレッリ (Guido Bigarelli) 、その横にある説教壇は、大聖堂の説教壇を制作したジョバンニ・ピサーノの父、二コラ・ピサ―ノ (Nicola Pisano) が制作しました。説教壇にはキリストの生涯のシーンが彫刻されています。

階段を上るとバルコニーがあり、そこから下の階を見ることができます。
上にいる時に30秒弱ぐらいだったと思いますが、女性の歌詞のないメロディーが響いてきました。30分ごとに音響の素晴らしさを体験させてくれるそうです。

カンポサント (Camposanto)

カンポサントは13世紀に建築された記念碑的な墓地で、ピサの著名人などを埋葬しています。
中庭側はアーチになっていて回廊のようです。

側面の壁には、聖書、神話などのシーンが描かれています。
最後の審判はブゥオナミーコ・ブッファルマッコによって描かれていて、2015年に修復が完了しています。

第2次世界大戦時に大きな損傷を受けたので、現在も修復中です。
フレスコ画を修復する際に、フレスコ画の下絵も発見され、シノピア博物館に展示されています。

1987年に「ピサのドゥオーモ広場」として世界遺産に登録されたのが、ピサの大聖堂、斜塔、洗礼堂とカンポサントです。
ドゥオーモ広場はピアッツァ・デイ・ミラーコリ (Piazza dei Miracoli) や、カンポ・デイ・ミラーコリ (Campo dei Miracolo) とも呼ばれ、奇跡の広場と言われています。1910年のガブリエーレ・ダンヌンツィオ ( Gabriele D’Annunzio) の小説「Forse che si forse che no」で、ドゥオーモ広場の美しさなどから、奇跡の広場と表現したのが始まりだそうです。

今回はドゥオーモ広場の全部の施設に入場できるチケットを買ったので、シノピア博物館とドゥオーモ博物館にも行ってみました。

シノピア博物館 ( Museo delle Sinopie)

シノピア博物館は、チケット売り場の奥に入口があります。

第二世界大戦中、カンポサントは爆撃されフレスコ画は大きな損傷を受けました。フレスコ画を修復するために、石膏からフレスコ画を取り出す作業中に下絵 (シノピア) が発見されました。その下絵を保存するために博物館が設立されました。

フレスコ画を制作するのに、壁に漆喰(石膏)を塗ってから赤い顔料で描いた下絵がシノピアだそうです。

シノビア博物館は、カンポサントにあるフレスコ画の下絵が展示されています。

ドゥオーモ博物館 ( Museo dell’Opera del Duomo)

1986年に開館したドゥオーモ博物館は、大聖堂や洗礼堂の修復や保存のために取り除かれたに装飾品、彫刻などが展示されています。

ジョバンニ・ピサーノが1300年前後に制作した福音記者ヨハネと洗礼者ヨハネの間にいる聖マリアです。
この博物館には、ジョバンニ・ピサーノの作品がいくつか展示されています。

フランスのブルゴーニュの木造のキリストは、イスラエルのナザレにある廃墟化した教会の下に埋もれていたところを発見されて、ピサまで運んできたそうです。1595年までは大聖堂で保管されていました。

中庭にでると、斜塔を眺めることができます。
ドゥオーモ広場は人が多いので、この中庭で斜塔にきた記念写真を撮りました。
写真の撮り方によって、傾きが大きかったり、斜塔が真っすぐに建ってたりします。

ミラーコリ広場の大聖堂、斜塔、洗礼堂とカンポサントを見学するなら2時間あればゆっくり見ることができます。残りの2つの博物館もみて3時間半滞在しました。

フィレンツェに行く機会があれば、朝の電車でピサへ行き、斜塔近くにあるレストランでランチをとって、ゆっくりしても夕方にフィレンツェに戻ってこれるので、行ってみてよかったです。

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