イタリアの首都ローマとヴァチカン市国 1日目

イタリアの首都ローマはラツィオ州にあります。ローマ市内は紀元前から発展してきたローマ帝国の遺跡が街のあらゆる場所で見られる魅力的な町の一つです。
有名な観光名所も沢山あり、限られた時間で観光するには、行きたいところ厳選して効率よく回った方が良いと思います。私は初日に歩きすぎてヘトヘトでした。

ローマでの交通手段は、地下鉄、トラムとバスがあります。滞在日数や行先によって、必要な切符が変わってくると思います。Google mapを使って現在地と行先を入力すれば、バス停や駅の場所やバスナンバー、所要時間などもわかるので便利です。

1.50ユーロの100分間有効の切符は、地下鉄に乗車できるのは1回だけで、残りの有効時間はバスとトラムに乗車できます。

地下鉄の料金は2022年3月時点の料金なので、最新情報はホームページで確認して下さい。

ローマ地下鉄ホームページ : Metro di Roma

ローマ市内のGoogleマップ

1日目は地図に表示してある➀から⑦まで観光しました。

➀ヴァチカン市国 サン・ピエトロ広場と大聖堂
②サンタンジェロ城
③ナヴォーナ広場
④サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会
⑤パンテオン
⑥ヴェネツィア広場
⑦カンピドーリョ広場

① ヴァチカン市国 サン・ピエトロ広場と大聖堂

地下鉄Aラインのオッタヴィア―ノ (Ottaviano)駅からヴァチカン市国のサン・ピエトロ広場までは、歩いて10分~15分程です。3月初旬の8時過ぎに行きました。夏休み期間などは、サン・ピエトロ大聖堂に入るのに3時間~4時間待ちと聞いたこともあるので、8時前後に行くのがお勧めです。

サン・ピエトロ広場は、バロック時代を代表する彫刻家で、建築家でもあるジャン・ロレンツィオ・ベルニーニ (Gian Lorenzo Bernini) が設計し、1667年に完成しました。高さ約16mの円柱が284本に4列に並んでいる列柱廊が広場を囲んでいます。列柱廊の上には140体の彫像が立っています。

広場は台形と楕円形をがくっついた形をしています。楕円形部分の中心にオベリクスが立っています。
ローマには13のオベリクスがあり、その一つがバチカンのオベリクスです。オベリクスの上にある十字架までは約40mあります。

サン・ピエトロ大聖堂に入る前に、セキュリティーチェックがあります。一緒に観光していた人がスイスのビクトリノックス (Victorinox) のアーミーナイフ(折り畳み式のナイフや栓抜きなど多くの機能がついたもの)を持っていたので、仕方なく手放していました。

当初からあった教会を1506年から再建を始め、1626年に完成したのが現在のサン・ピエトロ大聖堂です。大聖堂の建築には多くの建築家、芸術家などが携わっています。ルネサンス期の有名なミケランジェロ・ブォナローティ (Michelangelo Buonarroti) も大聖堂の一部を設計しています。

右側通路の最初の場所にミケランジェロのピエタ像があります。ピエタは十字架から降ろされたイエス・キリストを聖母マリアが抱きかかえている様子を表しています。大理石の彫刻でミケランジェロの最高傑作の一つと言われています。

左右両通路には、小さな礼拝堂や、様々な作品が展示されています。
ラファエロ・サンティ (Raffaello Santi) の「キリストの変容」はバチカン美術館にあります。
サン・ピエトロ大聖堂にあるものは、複製だそうです。

大聖堂中心部に進んでいくと、ジャン・ロレンツィオ・ベルニーニを中心に制作されたバルダッキーノがあります。バルダッキーノは祭壇や墓をおおう天蓋です。
サン・ピエトロ大聖堂のバルダッキーノは高さ28.5mもあり、グロッテ・バチカーネ ( Grotte Vaticane) という地下大聖堂の上にあります。

地下大聖堂は1592年に旧サン・ピエトロ大聖堂の地下室を改修しました。その後ベルニーニが4つの新しい礼拝堂を増築しました。
フレスコ画、彫像、モザイクなどを加え、古いサン・ピエトロ大聖堂を思い起こさせる空間にしました。

地下大聖堂には、聖ペテロや歴代の教皇などが埋葬されています。バルダッキーノの下の部分には聖ペテロの墓があります。
大聖堂の側廊に地下大聖堂にいく階段があり、「Grotte Vaticane Tombe dei Papi」と書かれた案内標識があります。

バルダッキーノの上には、ミケランジェロが設計したクーポラがあります。
中央にある星空の様なモザイクから広がるクーポラは、マルチェロ・プロヴェンツァーレ (Marcello Provenzale)を中心にモザイク画家が制作しました。

大聖堂の後陣に聖ペテロの司教座があります。
ペテロは初代ローマ教皇とされ、彼が所有していた司教の椅子が保存されています。ベルニーニが4体のブロンズ像などを制作し、一つの記念碑になっています。司教の椅子の上に窓があり、聖霊の象徴である鳩が描かれていてます。太陽の光が入り神々しい雰囲気です。

聖ペテロのブロンズ像の右足にキスや触る風習があります。1857年にピウス9世が、像にキスをすると50日間の贖宥(罪の償いを軽減、免除すること)を与えたことから始まったそうです。

クーポラを見に行くのは有料になります。
階段で551段、エレベーターを使っても320段の細い階段を上らなければなりません。
体力のある節約組と、体力のない組に分かれて上にのぼりました。
エレベーターを降りると大聖堂の屋上にでます。
階段組と合流してクーポラ内部に入っていきます。

2022年のクーポラへ行くチケットのの料金

大聖堂からクーポラを見上げた時は見えませんでしたが、クーポラの窓の下には天使のモザイクがあり、その前が通路になっています。
この通路を歩きながら大聖堂内を上部からみたり、クーポラのモザイクを間近に見ることができます。

先ほど目の前でみた約15mある聖ペテロの司教座も小さく見えます。
太陽の光でオレンジ色に輝いている鳩が見えます。
方角的に西日が入る時間帯がきれいに見えるそうです。

クーポラは、ミケランジェロの死後、彼の弟子であったジェコモ・デッラ・ポルタ (Giacomo Della Porta) らが、ミケランジェロの設計を元に、クーポラの曲率変更、強化など技術的な改革をして完成させています。

クーポラから外にでると、360度のパノラマを満喫できます。
クーポラの一番上の十字架までは約133mなので、そこより少し下からの景色です。
大聖堂の東側にあるサン・ピエトロ広場、はるか遠くには、アペニン山脈の山々まで見えます。

ヴァチカン市国には、青、オレンジ、赤色の制服を着たスイスの衛兵がいます。なぜスイス兵と思いますが、16世紀のローマ教皇がスイス兵の常駐を決定したことが始まりです。
現在は、ローマ教皇やヴァチカン市国の警備、警護をしています。

サン・ピエトロ大聖堂は朝の7時から19時10分まで,クーポラは朝の7時半から開いています。クーポラの終了時間は時期によって違います。サン・ピエトロ大聖堂、クーポラの営業時間、料金などの最新情報はホームページで確認して下さい。

サン・ピエトロ大聖堂 ホームページ:basilica San Pietro

② サンタンジェロ城 (Castel Sant’Angelo)

ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂を背にコンチリアツィオーネ通り (Via della Conciliazione) を歩いて行くと、サンタンジェロ城が見えてきます。

西暦139年に完成した皇帝ハドリアヌス建てた霊廊(偉人や先祖を祀り礼拝する建造物)が、サンタンジェロ城の始まりです。403年にローマ中心部を囲むアウレリアヌスの城壁の一部になってからは、要塞として使用されていました。

1277年に、既存の防御壁を利用してヴァチカン市国からサンタンジェロ城までを結ぶ、約800mの高架歩道が建設されました。教皇が危険にさらされた時に安全に要塞に避難できるように建てられ、パッセット・ディ・ボルゴ (Passetto di Borgo) と呼ばれています。イタリア語と英語のガイドツアー (Vista guidata al Castello Segreto) でしか訪れることができませんが、2022年はツアーが中止されていました。

ヴァチカン市国からサンタンジェロ城に向かってコンチリアツィオーネ通りを歩く場合は、交差点で左側(北側)をみると、高架(パッセット・ディ・ボルゴ)が見えます。

サンタンジェロ城は、その後教皇の住居部分を改築したり、イタリア統一後は兵舎として使用され、一部は刑務所としても使用されていました。刑務所にはカリオストロ伯爵も収容されていました。サンタンジェロ城は現在博物館になっていて、霊廊、教皇の住居スペース、要塞部分などが見れるそうです。

サンタンジェロ城の正面に、テヴェレ川に架かっているサンタンジェロ橋があります。橋には10体のアルマクリスティ(キリスト受難に関連する道具)を持つ天使の像と、サンタンジェロ城の対岸側には聖ピエトロ像と聖パオロ像があります。

写真では見えにくいですが、写真左に写っている天使はキリストが鞭打ちされた時の鞭を持っています。右側は鞭打ちの時にはりつけられていた柱を持っています。他にはキリストをはり付けた十字架を持った天使、十字架にはりつける時の釘を持った天使などがいます。天使なので足元には雲があるので、雲の上に天使がいるようです。

サンタンジェロ城ホームページ:castelsantangelo

トラットリア・ダ・ルイジ (Trattoria da Luigi)

サンタアンジェロ橋を渡って5分ぐらい歩いた所にあるトラットリア・ダ・ルイジでランチタイムです。

カルチョーフィ(アーティチョーク)の素揚げが食べたい!というリクエストがあったので、数軒のレストランにあるか聞いてまわり、このレストランに入ることにしました。
イタリアでのカルチョーフィの収穫時期は3月~6月です。

まずローマ名物のカルボナーラとアマトリチャーナを食べました。
カルボナーラのペコリーノチーズ、カリカリしたグアンチャーレと玉子の組み合わせは、濃厚な味がして美味しかったです。アマトリチャーナはグアンチャーレとペコリーノチーズを加えたトマトソースで、こちらもグアンチャーレから旨味がでてて濃厚で美味しかったです。グアンチャーレとは、パンチェッタの頬肉バージョンです。

カルチョーフィの素揚げはカルチョーフィ・アッラ・ジュディア (Carciofi alla Giudia) といいます。ジュディアはユダヤの事で、この料理はローマに定住しているユダヤ人から広まったそうです。花びらのようなガクの部分はサクサクしていて、中のガクの根本の部分は柔らかくて美味しかったです。

トラットリア・ダ・ルイジ ホームページ:Trattoria da Luigi

③ ナヴォーナ広場 (Piazza Navona)

細長い形をしたナヴォーナ広場は、古代ローマ時代、ドミティアヌス帝によって建設され競技場として使用されていました。17世紀半ばから3つの噴水や教会などが建築され現在の形になりました。ドミティアヌス競技場は現在の広場の約4.5mに下にあります。

ドミティアヌス競技場の遺跡は現在は博物館になっていて、見学することができます。

ドミティアヌス競技場(博物館)ホームページ: Stadio di Domiziano

この広場の中心にあるのが四大河の噴水です。当時知られていた大陸ごとに一つずつ、アフリカ大陸のナイル川、アジア大陸のガンジス川、ヨーロッパ大陸のドナウ川とアメリカ大陸のラプラタ川の4つの河川を表現する彫像の中央にアゴナーレ・オベリスクがそびえ立っています。
この四大河の噴水はベルニーニが設計し、各河川の彫像はサンタアンジェロ橋の天使の彫像の一つを制作したアントニオ・ラッジ (Antonio Raggi) らが制作しました。上の写真の手前に写っているのは、ジャコモ・アントニオ・ファンチェッリ (Giacomo Antonio Fancelli) によって造られたナイル川をイメージした彫像です。当時ナイル川は源泉が知られてなく、闇に包まれた源泉ということで、顔を覆っています。この噴水にはライオン、馬、海ヘビなど7匹の動物がいます。写真では、ナイル川の左下のライオンが分かりやすいです。
ナヴォーナ広場の中央には四大河の噴水があり、北側にはネプチューンの噴水、南側にはムーアの噴水があります。

四大河の噴水前には、聖アグネスに捧げらえた、サンタニェ―ゼ・イン・アゴ―ネ教会 (Chiesa di Sant’Agnese in Agone) があります。
古代ローマ時代にあった小さな教会が、1123年に大聖堂に再建されました。15世紀半ばに、パンフィリ家は、ムーアの噴水近くの邸宅を購入し宮殿を建設しました。1651年にジョヴァンニ・バッティスタ・パンフィリ(Giovanni Battista Pamphilj) はインノケンティウス10世の名で教皇になり、ナヴォーナ広場に四大河の噴水を建てたました。その後、噴水前の大聖堂を教皇自身が埋葬される、サンタ二ェーゼ・イン・アゴ―ネ教会を建てました。
ムーア噴水近くにあるパンフィリ家の宮殿は、現在はブラジル政府が買い取り、一部はブラジル大使館になっていますが、宮殿の華やかな部屋などは見学できます。

サンタ二ェ―ゼ・イン・アゴ―ネ教会ホームページ: Chiesa di Sant’Agnese in Agone

パンフィリ家の宮殿 ホームページ: La Galleria Doria Pamphilj

④ サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会

ナヴォーナ広場から歩いて数分のところに、サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会 (Chiesa di San Luigi dei Francesi) があります。
ローマ在住のフランス人コミュニティーが15世紀終わりに礼拝堂を改築して教会を建設し、その後、ジャコモ・デッラ・ポルタのプロジェクトで1589年に完成しました。
教会内にある5つの礼拝堂があり、左側にあるコンタレッリ礼拝堂 (Cappella Contarelli) には、バロック時代の画家で一般的にカラヴァッジョと呼ばれている、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ (Michelangelo Merisi da Caravaggio) の傑作があります。祭壇の上には、聖マタイと天使、右側には聖マタイの殉教、左側には聖マタイの召命があります。
教会内の右側の礼拝堂には、ドメニキーノの愛称で知られるバロック時代の画家、ドメニコ・ザンピエリ (Domenico Zampieri) のフレスコ画などもあります。

サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会 ホームページ:Chiesa di San Luigi dei Francesi

⑤ パンテオン (Pantheon)

サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会から歩いて3分でパンテオンに到着です。

以前のパンテオンは二度の火災により損傷したので、西暦112年~124年に再建されたものが現在のパンテオンです。パンテオンはすべての神々に捧げられた神殿でしたが、7世紀の初めにキリスト教のバジリカになりました。パンテオンの前には、古代オベリクスがそびえ立っています。
床からクーポラの一番上までは約43mあります。クーポラには太陽の光が入るように、オクルスと呼ばれる約9mの丸い開口部があります。
パンテオンは雨が入ってこないと聞いたことがあります。パンテオンで使われているロウソクの熱が上向きに上昇していき、雨が蒸発してしまうので雨が入ってこないらしいですが、実際は床がボトボトでした。
パンテオン内部には、イタリア王国初代の国王、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世 (Vittorio EmanueleⅡ) やルネサンスを代表する画家であり、建築家のラファエッロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio) など著名人が埋葬されています。

パンテオン ホームページ: Pantheon Roma

マルクス・アウレリウスの記念柱 (Colonna di Marco Aurelio)

パンテオンから5~6分程歩くと、コロンナ広場 (Piazza Colonna) があります。
この広場の中央には、古代ローマ時代に建設された高さ約42mのマルクス・アウレリウスの記念柱 (Colonna di Marco Aurelio) がそびえ立っています。マルクス・アウレリウスはローマ皇帝で当時の戦争の勝利を記念して建設されました。建設当時は記念柱の上にはマルクス・アウレリウスの銅像がありましたが、1589年の修復時に聖パオロ像に置き換えられました。
この記念柱の内部は上のテラスまで螺旋階段になっています。外側の部分は、当時ドナウ川沿いのドイツ人などと戦争した際の戦闘シーンや兵隊の行進のシーンなど、色々な場面が彫刻されています。
記念柱の後ろにある建物は、16世紀に建設されたキージ宮殿 (Palazzo Chigi) で、現在は首相官邸として閣僚評議会などで使用されています。

⑥ ヴェネツィア広場 (Piazza Venezia)

コロンナ広場前のコルソ通り (Via Corso) を10分ほど歩くと、ヴェネツィア広場があります。

ヴェネツィア広場は、ローマの中心部にありトラヤヌスのフォーラムの横にあります。広場からコロッセオまで続くフォリ・インペリアリ通り (Via dei Fori imperiali) の両端には、数々の古代ローマの遺跡を見れます。
ヴェネツィア広場の南側には、白い大理石でできた、イタリアの初代国王のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世 (Vittorio Emanuele Ⅱ) の記念堂があり、ヴィットリア―ノ (Vittoriano) と呼ばれています。1885年から1935年にかけて建設されましたが、1911年にイタリア統一50周年記念に一般公開されました。
記念堂の中央には馬に騎乗しているヴィットリオ・エマヌエーレ2世の銅像があり、その下にはローマの女神像があります。女神像の下には、戦争で亡くなったり、行方不明になった兵士を祀る祭壇があります。この祭壇は永遠に灯る火に守られ、常に2人のイタリア軍の兵士が警備しています。階段を登っていくと、ボッレッティーノ広場 (Piazzale del Bolettino) があります。この広場の中央には、第一次世界大戦に勝利を宣言した碑文の下に、ピアーヴェの戦いを記念しておかれた、モンテ・グラッパの石があります。
下側には8つの大理石の祭壇があり、その内の6つには Trieste (トリエステ)、Trento (トレント)、Gorizia (ゴリツィア)、Pola (プーラ)、Fiume (フィウメ) とZara (ザダル) の都市名が書かれていました。

行った時に、なぜこの都市名が書いてあるのかな?と思ったので調べてみました。この6都市は第一次世界大戦後の和平協定でイタリアに統一された都市名でした。1947年のパリ条約でプーラ、フィウメ(リエカ)とザダルはユーゴスラビア領(その後クロアチア)になりました。ゴリツィアは領土を分割され、一部はユーゴスラビア領(その後スロベニア)になりました。トリエステとトレントは現在もイタリア領です。
東側のテラスに行ってみると、古代のローマ遺跡が一望できます。有料のエスカレータでヴィットリア―ノの屋上まで行くことができ、私が見た位置より、さらに上からローマ市内を見渡すことができます。

ここから見る景色が一番ローマに来たなと思う場所です。

ヴィットリア―ノ・ヴェネツィア宮殿ホームページ: Vittoriano e Palazzo Venezia

⑦ カンピドーリョ広場 (Piazza del Campidoglio)

ヴェネツィア広場から歩いて数分で行けるカンピドーリョ広場に向かいます。ヴィットリア―ノの前にひっそりと遺跡があります。古代ローマ時代、西暦2年に建てられたアラコエリの共同住宅 (Insula dell’Ara Coeli)です。1930年代の大規模な取り壊しの際に発掘されました。

アラコエリの住宅跡を過ぎると、アラコエリのサンタ・マリア大聖堂 (Basilica di Santa Maria in Aracoeli) へ続く階段があり、その先にカンピドーリョ広場にに続く階段があります。

階段の上部では、ギリシャ神話に登場するゼウスの息子の双子の兄弟、カストールとポリュデウケースの彫刻に迎えられます。
カンピドーリョ広場は、ローマにある7つの丘の一つ、カピトリーノの丘の上にあります。
この広場は16世紀にミケランジェロのプロジェクトによって既存の建物を利用して再設計し、改築されました。広場は台形の形をしていて、正面にはセナトリオ宮殿 (palazzo Senatorio)、左側にはヌオーヴォ宮殿 (Palazzo Nuovo)、右側にはコンセルヴァトーリ宮殿 (Palazzo Conservatorio) の3つの建物に囲まれています。セナトリオ宮殿は市役所として、ヌオーヴォ宮殿とコンセルヴァトーリ宮殿は、カピトリーノ美術館 (Museo Capitolini) になっています。
中央にの彫像は、馬に騎乗したローマ皇帝マルクス・アウレリウスの彫像があります。広場にあるものはレプリカで、オリジナルはコンセルヴァトーリ宮殿に保管されています。
イタリア版の50セント硬貨に描かれているのは、このカンピドーリョ広場です。

広場奥のセナトリオ宮殿の端の道を進んでいくと、フォロ・ロマーノが見渡せます
ローマ初日は、ここで終了しました。正直。。。運動不足だったので足がパンパンです。

体力や時間に余裕のある人は、私が2日目に行ったトレビの泉やスペイン広場にも行ってみてください。夜はライトアップされているので、昼間とは違う雰囲気が味わえます。

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