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2025年 住みやすい町ランキング3位のウーディネ パート1

パルマノーヴァから北へ行くと、ウーディネという町があります。
10世紀から14世紀にかけて城壁が建設され、ウーディネの町は城壁で囲まれていましたが、19世紀に都市拡大のために城壁は解体されました。
ヴェネチア共和国崩壊後はハプスブルク帝国、フランスのナポレオン時代、ドイツ軍、オーストリア・ハンガリー帝国に占領されたのち、第二次世界大戦後の1945年に連合軍 (アメリカ、イギリスなど)から解放されました。
18世紀のイタリアを代表する画家のジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ (Giovanni Battista Tiepolo) の作品が多くあるので、ティエポロの町とも呼ばれています。

ピアッツァ・プリモ・マッジョにあるレストランのコンコルディア (Ristorante Concordia) の前にある小道からスタートです。

ウーディネのGoogleマップ

① ピッコラ・ヴェネツィア (小さな水路)
② Ascensore Castello (ウーディネ城へ続くエレベーター)
③ ウーディネ城
④ Piazza della Libertà (リベルタ広場)
⑤ ウーディネのドゥオーモ
⑥ マッテオッティ広場
⑦ Tempio Ossario (納骨堂)
⑧ SAMURAI RAMEN
⑨ Temple of Cargnacco (カルニャッコ教会、カルニャッコ神殿)
⑩ Teatro Giovanni da Udine (劇場)

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① 小さな水路 ピッコラ・ヴェネツィア

ウーディネの灌漑用水路は、タリアメント川から流れる人工水路のレドラ運河 (Canale Ledra) から水を供給しています。
1950年以降、多くの水路は埋設されましたが、町の所々で現在も見ることができます。

小道を入ったところにある水路の両脇にはカラフルな建物があり、絵に描いたようなかわいい感じの風景です。

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② 丘の上にあるウーディネ城へのエレベーター

2023年に完成したエレベーターを乗り継いで丘の上へ行けるようになりました。
前回ウーディネに来たときは、坂道を上って丘の上まで歩いていったので、楽に行けるようになりました。

2基のエレベーターの建設が計画された時、地盤、地質調査が行われました。調査の結果ウーディネ城のある丘は3000年~3500年前の青銅器時代に人工的に造られた丘であると結論付けられました。
これだけ大きな丘がなぜ造られたのか、どのように機能していたのかは現在も研究が続けられています。

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③ 丘の上にあるウーディネ城 (Castello di Udine)

標高138mの人工的な丘の上には、16世紀に建設されたウーディネ城があります。
ウーディネ城はフリウリ地方の議会などで使用されていました。
城内にはフリウリ議会の大広間があり、16世紀後半から18世紀にかけて装飾されています。

1906年よりウーディネ城は博物館になり、フリウリ議会の大広間も展覧会の会場になっています。

ウーディネ城ホームページ:Il Castello di Udine

ウーディネ城の前にある広場からは、アルプスの山々を眺めることができます。
夏は広場ではイベントが開催され、大晦日にはこの広場から花火が打ち上げられるそうです。

ウーディネ城の横にあるグリマー二の門をでると、ウーディネで一番古い教会、サンタ・マリア・ディ・カステッロ教会 ( Chiesa di Santa Maria di Castello) があります。

現在の教会は12世紀に建てられましたが、1928年~1930年に行われた修復工事の際に、8世紀の石片や、ロンゴバルド王リウトプランド (712年~744年)の名前が刻まれた碑文などが発見されています。
おそらく以前は礼拝所があった場所だと推測されています。
サンタ・マリア・ディ・カステッロ教会の鐘楼は高さ43mあり、16世紀にジョヴァンニ・ダ・ウーディネ (Giovanni da Udine) によって完成しました。鐘楼の上にある黄金の天使が風向きによって回転し位置が変わります。ウーディネ城の写真で、城の横にある鐘楼が、サンタ・マリア・ディ・カステッロ教会の鐘楼です。

坂を下りていくと、リッポマーノのポルチコがあります。1487年にリッポマーノ・トンマーゾの依頼によって建設されました。
前回来たときは、まだエレベーターがなかったので、この坂を上って丘の上にいきました。
ボッラ―二の門を通るとリベルタ広場 (Piazza libertà) の横に着きます。

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④ ウーディネの歴史的建造物が集まるリベルタ広場

リベルタ広場には、サン・ジョヴァンニ教会がありましたが、1511年に起こった大地震後に再建され、ロッジャやポルチコも同時期に建設されました。
教会は第一次世界大戦の戦没者を祀るテンピエットに再建されています。

ひと際目立つ時計塔は、サンタ・マリア・ディ・カステッロ教会と同じくジョヴァンニ・ダ・ウーディネによって1527年に建てられています。ジョヴァンニ・ダ・ウーディネは、ルネサンス期を代表する画家ラファエロ・サンティの工房で働いていました。ラファエロの没後は、ローマ、ヴァチカン、ヴェネツィアやウーディネなどで活躍したウーディネ出身の画家です。

テンピエットの向かい側にリオネッロのロッジャ (Loggia del Lionello) があります。

リオネッロのロッジャは新しい市庁舎として15世紀に建設が始まりました。
火災や震災などで再建が繰り返し行われ現在の建物は1930年頃に完成してます。
正面は10つあるアーチと、広々とした大理石の空間が印象的です。
現在は市庁舎での結婚式やイベントなどで使用されています。

リベルタ広場から北西に伸びるメルカートヴェッキオ通り (Via Mercatovecchio) には、カフェやレストラン、色々な店が立ち並んでいます。
メルカートヴェッキオ通りは、12世紀からこの辺りで市場があったので、古い市場という通りの名前になっています。

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⑤ ティエポロの作品を鑑賞できるウーディネのドゥオーモ

ウーディネのドゥオーモ (Cattedrale di Santa Maria Annunziata) は、ロマネスク・ゴシック様式で建設され1335年に献堂されました。18世紀にヴェネツィア周辺で活躍した建築家ドメニコ・ロッシ (Domenico Rossi) の設計によってバロック様式で再建されました。

20世紀になってから、14世紀の当時の構想で再建され、ゴシック様式のバラ窓や尖頭アーチなどが見られます。

バロック様式の大聖堂内部は、3つの身廊があり、両側の側廊には、それぞれ礼拝堂があります。2つある霊廟は、再建資金を援助したヴェネツィアの貴族、マニン家(Manin) のもので、ドメニコ・ロッシが設計しています。

祭壇の上にある壮大なフレスコ画のドームの頂上には、永遠の父キリストや、彼を讃える天使などが描かれています。これらのフレスコ画はルイ・ドリニー (Louis Dorigny) が18世紀に描きましたが、二度の修復後に空襲でドームが焼失したので、1965年に地元の芸術家によって修復されました。

大聖堂の入口から入って右側にはティエポロが装飾した礼拝堂が並んでいます。
聖エルマゴラスと聖フォルトゥナトゥスの礼拝堂はアクイレイアの守護聖人をティエポロが描きました。(アクイレイアは中世初期までは、北東イタリアの中心地でした。)

聖体礼拝堂の祭壇画の”イエスの復活”やドームのフレスコ画を描いたのもティエポロです。
隣にある洗礼者ヨハネとユースタス礼拝堂の祭壇画は、イタリア人画家フランチェスコ・フォンテバッソ (Francesco Fontebasso) が描きました。

大聖堂の祭壇前から祭壇に向かって左側にある扉から外にでると、鐘楼の前に出ます。15世紀に建てられた鐘楼は当時はウディネ城の鐘楼と同じぐらいの高さを想定されましたが、計画は中止になり、現在の高さになっています。
この鐘楼の下に、大聖堂博物館があります。

中に入ると洗礼堂があり、八角形の洗礼盤や、フレスコ画、アクイレイアの総主教を務めたベルトラン (Bertrando di San Genesio) の装飾された大理石があります。

聖ニコロ礼拝堂では、ヴィターレ・ダ・ボローニャ (Vitale da Bologna) が1349年に描いた聖ニコラウスの物語などのフレスコ画を見ることができます。

ウーディネには数回行きましたが、大聖堂の博物館には気が付かず何回か通り過ぎていました。
偶然にオープンしているときに前を通ったので、入ることができました。

ウーディネパート2では、歴史地区にあるサン・ジャコモ広場や戦没者納骨堂などを訪れた様子をまとめていきたいと思います。

タイトルにある住みやすい町3位というのは、Il Sole 24 Ore が作成した生活基準の全国ランキングを参考にしています。いずれIl Sole 24 Ore のランキングを詳しく見ていけたらいいなと思います。

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