フリウリ・ヴェネツィア州の州都トリエステから北西へ約50キロ離れた場所にパルマノーヴァという町があります。16世紀末からヴェネツィア共和国によって築かれ、星形の塀に囲まれた要塞都市です。
ヴェネツィア共和国が築いた星形要塞都市 パルマノーヴァ
1593年にヴェネツィア共和国がハプスブルク帝国やオスマン帝国などの侵攻に備え、東側の国境を防御、強化するために星形の要塞を建設することを決定しました。
この要塞の中心は六角形のグランデ広場 (Piazza Grande) です。
要塞都市には3つの防壁があり、内側の防壁は九角形で、その頂点には大砲が設置されていました。この頂点を結ぶ線は約400mで、都市の周囲全体が射程圏内になっていました。
要塞内の建物は低く建てられ、外側の敵から見えないように建設されたそうです。
土手(堀)の外側には2つの城壁があり、一番外側の城壁は19世紀のナポレオン時代に建設されています。

パルマノーヴァ市内に入るには3つの入口 ( 門 ) があります。ポルタ・ウディネ、ポルタ・アクイレイアとポルタ・チヴィダーレの3つの門は、その先へ向かう地名によって名付けられています。これらの門はヴィンチェンツォ・スカモッツィ (Vincenzo Scamozzi) の設計で建てられました。
要塞都市への入口の一つ、ウディネ門から市内に入っていきます。
ポルタ・ウディネは1604年から1605年にかけて建設されました。
門の屋根の上には2本の尖塔と見張り場があります。

門の上部には、跳ね橋(城門防備のため、跳ね橋を上げて通行を妨げることができる)の上下に使用されていた2つの大きな車輪を見ることができます。
内部には暖炉付きのポーチや、警備隊の部屋などがあります。

ポルタ・ウディネの横にある小道から、要塞の周りを歩くことにしました。
内側、外側のどちらに歩くかによって所要時間は変わりますが、1時間半から2時間ぐらいで歩けると思います。私達はゆっくり歩いて2時間以上かかりました。

歩いてすぐに見えるのが、ポルタ・ウディネの横にある水道橋です。何度も修復されていて1771年に現在の形になったそうです。
この橋は、要塞近くにある用水路から水を供給し 要塞内に運ぶために利用されていました。

一番外側の防壁にあるこの建物は、1806年から1809年のナポレオン時代に建設されました。
建物は大砲などが配置され、外側からは草などで見えなかったそうです。

第2の防壁にあるラヴリン (要塞や城の防御建築物の一部で、攻撃者が防御を突破するのを防ぐための構造物)があります。


ラヴリンは大砲による攻撃の死角をなくすために利用されていました。ラヴリン全体にはトンネル網が張り巡らされ、敵が侵入する場合は、トンネルに地雷を仕掛けて爆破し、敵が防御を突破するのを防いでいました。
内側の防壁にある稜堡は9つあり、奇襲攻撃に備えて兵士たちは敵から見られることなく集まり準備をすることができました。

ポルタ・チヴィダーレまできました。
ポルタ・ウディネと同時期の1605年に完成しています。
この門の上には軍事・要塞博物館 (Il museo della Guerra e della Fortezza di Palmanova) がありますが閉館中でした。

要塞の周りを歩いていると、草で隠れているトンネルや建物などを見ることができます。


散策路になってますが、子供連れや犬と散歩されている方々数人とすれ違うぐらいでした。
ポルタ・アクイレイアは3つの門のうち最初に建てられた門です。
海側にあるので、ポルタ・マリッティマ (Porta Marittima・海の門) とも呼ばれていました。
ヴェネツィア共和国時代には、ポルタ・アクイレイアが主要門として使用されていました。

ポルタ・アクイレイアの前を通り、スタート地点のポルタ・ウディネまで戻ってきました。
ポルタ・ウディネから町の中心にある広場へ行きました。
ピアッツァ・グランデ (Piazza Grande)
ピアッツァ・グランデは町の中心部にある六角形の形をした広場です。
広場の中心には、旗が掲げられています。
ヴェネツィア共和国時代は、サン・マルコの旗、ナポレオン時代はフランスの旗、オーストリア支配下の時代はハプスブルクの鷲が掲げられていました。現在はイタリアの国旗が掲げられています。

広場には、要塞建設に使用された水を汲んだり、土を運ぶ機械などを実物大に再現して展示してあります。

レデントーレ大聖堂 ( Duomo del Santissimo Redentore)
広場でひときわ目立つのがレデントーレ大聖堂です。ドゥオーモ・ドガーレ (Duomo Dogale) とも呼ばれている大聖堂は17世紀前半に建設されました。
大聖堂はレデントーレ (救世主・イエスキリスト) 、聖マルコ、聖ユスティナに捧げられています。大聖堂正面の上部には、3体 (イエスキリスト、聖マルコ、聖ユスティナ)の像が置かれています。
鐘楼は要塞の外側から見えないように低く建設されました。

大聖堂内部はフレスコ画などで装飾されていて、明るいイメージがしました。
中央祭壇の後ろにあるのは、1850年にドメニコ・ファブリス (Domenico Fabris) によって描かれた救世主の祭壇画です。

大聖堂には、パドヴァ二ーノと呼ばれているアレッサンドロ・レオーネ・ヴァロターリ (Alessandro Leone Varotari) の作品やヴェネチアやフリウリ地方出身の画家が描いた作品が多いです。
パルマノーヴァは、城壁の外を歩くとなんとなく星形なのかなと思いますが、実際に目で全貌を見ることができません。インフォメーションポイントで動画などを見せてくれますが、何か物足りなさを感じました。
函館にある五稜郭もパルマノーヴァと同じく星形の稜堡式城郭で、五稜郭タワーから景色を見ることができますが、パルマノーヴァは要塞都市だけに近くに丘や山もなく、上から見ることができません。
パルマノーヴァは2017年に「16世紀から17世紀のヴェネツィアの防衛施設群:スタート・ダ・テッラと西スタート・ダ・マール」の防衛施設の一つとして世界遺産に登録されました。
要塞まではトレニタリアのパルマノーヴァ駅から歩いて行けます。
トリエステからカルニア (Carnia) やウディネ (Udine) 行きの電車で50分ほどで行けます。
レディプーリア軍事慰霊堂 (Sacrario Militare di Redipuglia)
トリエステ=ロンキ・デイ・レジョナーリ空港の近くにイタリア最大の軍事慰霊堂があります。
レディプーリア軍事慰霊堂は、1935年にベニート・ムッソリーニが激しい戦闘が行われたイゾンツォ川近くの山の斜面に軍事慰霊堂を建設する決定をしました。
軍事慰霊堂は1938年に落成し、第一次世界大戦で戦死した100187人の兵士の遺体が納められています。

中央には、サヴォイア・アオスタ公のエマヌエーレ・フィリベルトの墓があります。アオスタ公は第一次世界大戦の戦場で一度も敗戦しなかったので無敗の公爵と呼ばれていました。彼の遺言書に示されてた通り、レディプーリア軍事慰霊堂に埋葬されました。

丘の斜面に沿って階段になっていて、各段には兵士の遺体が納められています。階段の蹴込部分の青銅のプレートには兵士の名前や階級が刻まれています。その上には”PRESENTE” と書かれています。学校などで出欠を取る時に、名前を呼ばれた後にプレゼンテ!と言う場合もありますが、兵士の点呼を取る時にも使用されています。

階段を上がるより、坂道の方が楽な気がしたので、記念堂の端にある坂道を上っていきました。
丘の上には3つの十字架が印象的な礼拝堂があります。3つの十字架は、慰霊堂全体の高さ (107m) が遠近法によって実際より高く見えるようにしたそうです。

礼拝堂は2014年に再建されています。礼拝堂の両側には大きな共同墓地があり約6万人の無名兵士の遺骨が納骨されています。

礼拝堂の奥には、兵士たちの写真や遺品が展示してあります。戦時中に家族への手紙なども展示されていました。

レディプーリア軍事慰霊堂では、毎年6月2日は共和国記念日の式典、11月4日には第一次世界大戦で亡くなったすべての兵士を追悼する式典が行われています。
公共交通機関では行きにくい場所なので、車でトリエステに行く機会があれば立ち寄ってほしい場所です。
