フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州のウーディネ県にアクイレイアという町があります。
要塞都市パルマノーヴァからは、車で約25分で行くことができます。
電車ではヴェネツィアートリエステ線のチェルヴィニャ―ノ・アクイレイア・グラード (Cervignano-Aquileia-Grad) 駅からバスで約15分のところにあります。
今回は、古代都市アクイレイアを半日観光してきました。
アクイレイアのGoogleマップ
① アクイレイア国立考古学博物館 (National Archaeological Museum of Aquileia)
② フォンド・パスクアリス (Pasqualis Fund)
③ サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂 (Basilica di Santa Maria Assunta)
④ 洗礼堂 (Baptistery of the Basilica of Santa Maria Assunta)
⑤ ローマ時代の邸宅と司教館 (Domus and Episcopal Palace)
⑥ ティト・マクロの邸宅 (Domus of Tito Marco)
⑦ 河港の遺構 (Fluvial Port)
⑧ フォロ・ロマーノ (Roman Forum)
⑨ アラトリア・ガッラのデクマヌス (Decumano Aratria Galla)
⑩ カンディア大霊廟 (The Great Mausoleum of Heraklion)
⑪ フォンド・CAL (CAL Fund)
古代ローマの植民都市 アクイレイア
アクイレイアは紀元前181年に古代ローマのコロニア (軍事、経済的な目的で建設された植民都市)として設立され、ローマ皇帝アウグストゥスが西暦7年頃にイタリアを再編成した地域 (Regio Ⅹ Venetia et Histria) の首都でした。初期キリスト教の総主教が置かれ、キリスト教の重要な都市でもありました。
5世紀に西ゴート族、フン族からの攻撃によって都市は破壊され、568年のロンゴバルド族の侵攻によってアクイレイアはローマ・ビサンツ帝国とロンゴバルド族に分割されました。
アクイレイアは11世紀以降、アクイレイア総主教庁の設立により再び繁栄しましたが、15世以降はヴェネツィアの支配下に、17世紀にはハプスブルク家の支配になり、アクイレイアは衰退していきました。
アクイレイアのローマ時代の遺跡は1998年に「アクイレイアの遺跡地域と総大司教座聖堂のバジリカ」として世界遺産で登録されています。
① アクイレイア国立考古学博物館
アクイレイアを訪れた日が第1日曜日だったので、無料で見学できました。(第1日曜日は、文化省の取り組みで博物館や美術館、宗教施設など一部の施設が無料で見学できる場合があります。対象施設や日程、予約が必要な場合などの詳細情報は文化省のホームページで確認できます。)
アクイレイア国立博物館は、オーストリア帝国 (ハプスブルク帝国) であった1882年に開設され、2018年にリニューアルオープンしました。
1階はアクイレイア周辺で発見された碑文、彫刻、建物の破片などが展示されています。

2階にはアクイレイアの家屋の床のモザイクなどが展示されています。
その中の一つは、ブドウのつるの模様が描かれていて、中央のリボンで結ばれています。紀元前1世紀末の邸宅から発掘された食堂の床のモザイクです。

貝を使用したモザイクもありました。2000年以上前の貝殻がきれいな形で現在も見れるのは、不思議な気分になります。
大理石像や、貝のモザイクなどの壁の装飾は、アクイレイア南部から発掘されたものです。

3階はアクセサリー、鏡、貨幣などが展示されています。
貨幣は紀元前4世紀から6世紀に使用されていた金、銀、青銅で作られた貨幣が並んでいます。当時の所在地は不明ですが、296年にアクイレイアの造幣局が設立され、日常使用のための青銅貨と、記念硬貨の金銀貨の両方が造幣されていました。

中庭には、碑文や墓碑、建物の一部などが並べられています。床にはモザイクがある部分もありました。


4世紀の大浴場跡で発掘された、アスリートや競技などを題材とした床のモザイクです。
現在も調査や研究が続けられていてる遺構からは、多くのモザイクが発掘されています。

第1日曜日だったので、たくさんの人が見学に訪れていました。新しくオープンしたスペースには、発掘された像の説明などもあって興味深かったです。
② フォンド・パスクアリス (FONDO PASQUALIS)
フォンド・パスクアリスは、ローマ帝国の4世紀~5世紀に市場があった場所です。
石造りの建物や、木製のアーケードなどが建てられ、様々な店舗が入っていたとされています。
市場の遺構から半焼けした小麦の穀粒が入ったアンフォラ (古代ギリシャ陶器の壺) や、皇帝レオ1世 (457年~474年) の金貨が発見されています。この金貨が見つかったことで、5世紀のフン族の侵攻 (452年) でアクイレイアの都市は破壊されましたが、この市場は影響は受けなかったとされました。

市場や二重の防護壁など当時の生活がどのようなものだったのか現在も発掘調査が続いています。
③ サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂
右側に大聖堂と洗礼堂、中央に鐘楼があります。
高さ73mの鐘楼は、ローマ時代の円形闘技場跡の石塊で11世紀に建てられました。
以前は鐘楼に上ることができましたが、現在は閉鎖されています。

チケット売り場でバジリカ複合施設見学のチケットを購入しました。(18歳未満は無料です)このチケットで「大聖堂、フレスコ画の地下聖堂(クリプタ) 、発掘された地下のモザイクホール」、「洗礼堂+南のホール」、「ローマ時代の邸宅と司教館 (Domus e Palazzo episcopale)」「ティト・マクロの邸宅(Domus di Tito Macro)」を見学できます。
大聖堂と洗礼堂の入口は向かい合っています。まずは大聖堂から見学していきます。
アクイレイア大聖堂は、聖母、聖エルマゴラスと聖フォルトゥナトゥスに捧げられていて、一番古い古代聖堂は西暦313年以降に建設され、その後4度にわたり再建されています。現在の大聖堂は1031年に以前の建物の遺構の上に重ねて建てられています。
大聖堂に入ると、身廊部分に4世紀の大きなモザイクを見ることができます。
このモザイクは1909年から1912年にかけて中世の床が取り除かれて発掘されたものです。
肖像画、動物、寓話などが描かれています。

モザイク全体の約1/3を占めるのは、預言者ヨナの物語を描いてます。この写真上部では、ヨナが古代メソポタミア北部のニネヴェ (現イラクの都市モスル)へ行き、町のすべての人々に神について話しました。その後、ヨナは疲れたのでカボチャの下で横になって休んでいるシーンが描かれています。

祭壇後ろの後陣は、フレスコ画で装飾してあります。中央は幼子イエスを抱いた聖母マリアが玉座に座っています。マリアの周りには、聖人、司祭や皇帝などが描かれています。
モザイクにはソロモンの結び目がみられます。
ソロモンの結び目とは、端がない幾何学模様で、二つのリングが重なって十字架を形成しています。初期のキリスト教では、人間と神聖な領域との融合を表しています。

ソロモンの結び目のモザイクで、ローマ時代のモザイク床の層構造が、どのように造られていたのかが説明されていました。5層ある基盤の上にモザイク片が置かれています。
① モザイク本体
② 石灰、大理石の細かい骨材からなるモンタル層で、モザイクのテッセラ ( モザイク片) がこの層に埋められます。
③ 石灰、大理石、砂の細かい骨材からなるモンタル層で、モザイクの下絵となる線が描かれる。
④ 石灰を基材としたモンタルに砕いたレンガや陶器、火山灰などを混ぜた層で施行面を平らにし、排水を促しています。
⑤ 小石、レンガ、土器の破片などからなる層で、排水と基礎部分を形成しています。
⑥ 整地された土の層
このような層で、ローマ時代のモザイクが形成されていて、2000年以上経った現在でも見ることができます。
階段を下りて地下聖堂へ行きます。
地下聖堂は、アクイレイアの殉教者たちの遺物を納めるために9世紀に建てられました。
天井にはアクイレイアで重要な聖人の聖エルマゴラ、聖フォルトゥナートの物語が描かれています。23枚あるフレスコ画の中には、「十字架降下」があります。右下にはペンチを持っているニコデモが描かれており、イエスの足から釘を外しているシーンです。。。

発掘された地下聖堂は、ガラスの通路を歩いていきます。
入口から進んでいくと、アクイレイアの初期の教会のモザイク床や壁の一部を見ることができます。

古代ローマ時代の邸宅 ( 紀元1世紀~2世紀) の床や壁の一部、井戸なども見ることができます。

452年にフン族がアクイレイアに侵攻した時に焼き払った古い聖堂跡も発掘されています。

モザイクはシンプルな模様が多いですが、鳥、ロバ、ヤマウズラ、羊などの動物、雄鶏と亀の戦いなども描かれています。
④ クロマティウス司教の洗礼堂と孔雀のモザイク
クロマティウス司教(388年~408年) によって建設した洗礼堂は、当初は壁と天井部分はモザイクやフレスコ画で装飾されていたそうです。

洗礼盤 (浸礼槽) の頂点部分にある6本の円柱は、9世紀にローマ時代の円柱を用いて浸礼槽の周りに回廊を作るために使用されていました。
当時、洗礼を受ける人達は、体全体を聖水でぬらしたそうです。

浸礼槽の横に南のホール (Sud-Halle) へ続く扉があります。洗礼を受けた後に、南のホールで着替えをしてたそうです。
1893年に洗礼堂の北と南に長方形の部屋(ホール)が発見されました。北側のホールは断片的に保存されていてます。南のホールは4世紀末から5世紀初期の司教クロマティウス時代の床のモザイクを見学することができます。
南のホールの床モザイクは、中央ラインにある八角形の部分には子羊などの動物が描かれています。八角形の周りは正方形で、幾何学模様などで装飾されています。
モザイクの一部に黒いシミがあるのは、西ゴート族やフン族が聖堂を破壊したときの火災による焼け跡です。

キリスト教で不死の象徴である孔雀が描かれています。
孔雀の尾羽は毎年秋に抜け落ちて、春には生え変わるそうです。イエスの復活はイエスが死んだ後に生き返ったと言われているので、孔雀をイエスの復活の象徴としているそうです。

⑤ 古代ローマ時代の邸宅と司教館
司教館はおそらくバジリカ複合施設とつながっていたと言われるホールには、紀元4世紀のモザイク床が見られます。
モザイクには、魚、貝、ブドウ、草花などが描かれています。これは自然の豊かさを通して、幸福や繁栄を表現しています。

モザイクの失われた部分は、時代が違う簡単なモザイク片で修復されていることから、このホールは長年に渡って使用されていたと推測されています。大きく破壊した床の東側は安価なモザイク片で幾何学模様などで装飾されました。
4世紀~5世紀の床の約4m下には、紀元1世紀の家の遺構を見ることができます。

⑥ 古代ローマ時代のティト・マクロの邸宅
紀元前181年にアクイレイアが設立された当時の邸宅で、国立考古学博物館に展示されているリボンのモザイクなど数点がこの邸宅から発掘されています。
2009年~2015年の発掘調査で、名前が刻まれた鉄製の取っ手がついたおもりが発見されたことによって、ティト・マクロの邸宅であったと推定されるようになりました。

この邸宅にはアトリウム(中庭風の空間) を抜けるとモザイク床の応接室があったそうです。
台所、寝室、リビングがあった場所の遺構を見ることができます。
このアトリウム付近から硬貨がたくさん発見されており、硬貨の年代によって当時の状況を推測されています。

⑦ 古代都市アクイレイアの河港
アンティーカ通り (Via Antica) の遊歩道の下には幅48mの大きな河川のナティッサ川がアクイレイアの東側に沿って流れていました。
河港を通じて貿易が盛んになり裕福な都市となりました。

木造建築だった建物が紀元1世紀末には港全体が石造の建物で再建されました。
アクイレイアが238年と361年に包囲された時期に、埠頭の岸壁の上に城壁を建設し、構造物の防御を強化しました。

361年のユリアニスの包囲戦中に防御軍がナティッサ川の流れを変え、その後に起こった洪水はアクイレイア東部地区を襲いました。川の流域が変わったために、船の航行や河港のインフラが通常通り行われなくなりました。4世紀~6世紀にも侵略があり、河港の機能性が徐々に失われ、安定した流通が維持できなくなり衰退していきました。
この河港は、現在も発掘調査や水理工学などでの研究が進められています。
⑧ フォロ・ロマーノ (Foro Romano)
フォロは広場を中心に、都市の政治的、行政的、社会的生活の中心地でした。
ポルチコ (ポーチ) の柱は現在も残っていて、2世紀に建てられた建造物の柱だと言われています。

⑨ アラトリア・ガッラのデクマヌス
デクマヌスは、古代ローマ時代の都市の中心部を東西に走る主要道路で、河港、フォロなどを結んでいました。
1世紀前半に舗装工事の資金提供をしたアラトリア・ガッラの名前を付けています。
100mほど発見され一般公開されていますが、その先は発掘調査中で入れませんでした。

⑩ カンディア大霊廟
高さ17mの大霊廟は、アクイレイアから数キロ離れた村で発見された断片を用いて、1956年に現在の場所に建てられました。
墓を依頼した人物の頭部がない像が上部にあります。服装や霊廟の装飾から、この人物は高位の行政官 (裁判官) だったと推定されています。
アウグストゥス時代の霊廟を復元されていますが、個人的に再建されたものです。

⑪ 古代ローマ時代の住宅の遺跡 フォンドCAL
アクイレイアの城壁の外にある住宅街の一部で、紀元1世紀~5世紀にかけて何度も改築や統合されたことがわかっています。

4世紀に装飾された「善き羊飼い」のモザイクはわかりにくいですが、中央の丸い場所に羊飼いが描かれています。
この場所は裕福な家庭の応接室だったと推測されています。

白黒の幾何学模様は初代ローマ皇帝アウグストゥス時代のものだと言われています。

白黒のモザイク、色が付いたモザイク、ポルチコの様な柱や、邸宅の壁などを見ることができます。まだまだ発掘調査中で、説明のボードもなかったので見学していてもわかりにくいですが、古代ローマ時代をイメージしながら歩くのも良いと思いました。

今回は半日でアクイレイアを観光しました。観光客も少なかったので、ローマ時代の遺跡をゆっくり見学することができました。もっと遺跡を見たい場合は、歩いて行ける距離に初期キリスト教博物館 (Museo Nazionale Paleocristiano) もあります。
アクイレイアは行きにくい場所にありますが、フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア方面に来ることがあれば、お勧めしたい観光地の一つです。

