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2025年 住みやすい町ランキング3位のウーディネ パート2

イタリア北東部のフリウーリ地方にあるウーディネの歴史地区は半日で歩いて観光することができます。パート1ではウーディネ城付近とドゥオーモの二大観光スポットが中心でしたが、パート2ではマッテオッティ広場や、ウーディネ郊外にあるカルニャッコ神殿などを観光してきました。

ウーディネのGoogleマップ

① ピッコラ・ヴェネツィア (小さな水路)
② Ascensore Castello (ウーディネ城へ続くエレベーター)
③ ウーディネ城
④ Piazza della Liberta (リベルタ広場)
⑤ ウーディネのドゥオーモ
⑥ マッテオッティ広場
⑦ Tempio Ossario (納骨堂)
⑧ SAMURAI RAMEN
⑨ Temple of Cargnacco (カルニャッコ教会、カルニャッコ神殿)
⑩ Teatro Giovanni da Udine (劇場)

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⑥ マッテオッティ広場 (Piazza San Giacomo)

マッテオッティ広場 (Piazza Giacomo Matteotti)は広場にある教会の名前に由来して、サン・ジャコモ広場やメルカート・ヌオーヴォ(新しい市場)とも呼ばれていて、13世紀に新しい市場にために建てられた広場です。

広場の中央付近には、ジョバンニ・ダ・ウーディネが設計した噴水と聖母マリア像があります。
広場の周りには、古いフレスコ画の跡が残っている建物もあります。

広場の西側には、サン・ジャコモ・アポストロ教会 (Chiesa di San Giacomo Apostolo) があり、1401年に礼拝堂として建設されました。
教会の正面部分は、16世紀ににベルナルディーノ・モルコテ (Bernardino da Morcote) によって改修されました。

18世紀になると教会内部はルカ・アンドリオリ (Luca Andrioli) がゴシック様式からバロック様式に改修しています。
天井には「聖ヤコブ (サン・ジャコモ) の生涯」の物語が描かれました。

1743年から建物全体が拡張され、マドンナ・デル・サフラジオの礼拝堂が建設されました。
教会内、礼拝堂では、16世紀、17世紀のフレスコ画などをみることができました。

マッテオッティ広場で開催されていた市場は現在は9月20日広場 (Piazza XX Settembre) で行われています。
私が行った水曜日の午前中は1軒しか出てませんでした。

サン・ジャコモ・アポストロ教会から南側へ歩いて行くと、日本から撤退した(2026年10月現在)ベルシュカ (Bershka) やセフォラ (Sephora) がありました。
お誕生日プレゼントや、日本にいる従妹のお土産はセフォラで購入したことがあります。

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⑦ 第一次世界大戦の戦没納骨堂 Tempio Ossario

セフォラとZaraの間にあるガレリアを通り抜けて進んで行くと、大きなロータリーがあり、その一角にテンピオ・オッサーリオがあります。

テンピオ・オッサーリオは、第一次世界大戦の戦没者納骨堂で、聖ニコラウスに捧げられています。
正面には水兵、アルプス兵、歩兵と航空兵の4つの像があります。(クリスマスツリーで隠れていますが。。。)

納骨堂近くのモレッティ公園 (Parco Moretti) から外観がよく見えます。
1926年から教会の建設は始まりましたが、1928年にイタリア最大級の納骨堂を整備することを決定し、新しいプロジェクトで改修されました。

内部は中央の身廊の上にある半円筒の格天井に赤い大理石で覆われた柱が印象的です。
この聖堂兼納骨堂には、第一次世界大戦で戦死したイタリア兵25000名の遺骸が安置されています。

名前が判明している兵士は、聖堂と地下納骨室の周囲の壁に埋葬されています。身元不明の兵士約8000名は地下の納骨堂に安置されています。

ドーム下にある赤い大理石の祭壇は、地元の彫刻家アウレリオ・ミストルッツィ (Aurelio Mistruzzi) によって1938年に制作されました。青銅で造られた十字架も同時期に制作されています。
祭壇の後ろにある「キリストの復活」は、フレッド・ピッティノ (Fred Pittino) が描き、1969年にモザイクで制作されました。このモザイクが一番印象に残った作品でした。

納骨堂や兵士の像などがある地下は広々としていて荘厳な雰囲気に包まれています。
毎年11月4日は第一世界大戦の戦没者を追悼する式典が行われています。

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⑧ Samurai Ramen (ウーディネにあるラーメン屋)

ウーディネの町を散策してから、大聖堂近くにあるヴィットリオ・ヴェネト通り (Via Vittorio Veneto) にあるSAMURAI RAMENで食事しました。

店内にはラーメンについて記載されている数年前の日本の雑誌がおいてありました。
町を案内してくれてた知り合いが、以前にこのラーメン屋で食べた写真を送ってくれていました。

私達は、ラーメン、担々麺、冷やし中華を注文しました。ラーメンは脂が多めで濃いめのスープでした。
担々麺は一口食べましたが、辛かったです。メニューにも唐辛子のマークがついていたので、辛いのは当然です。辛いのに不思議と食べたくなるのが担々麺です。

数年前に行った時のメニューですが、この侍ラーメンで冷やし中華を見てから、家でスパゲッティで冷やし中華 (パスタ) を作るようになりました。(すっかり冷やし中華の存在を忘れていました)あっさりした醤油ベースのタレが好きなので、今では夏の定番になっています。

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⑨ Temple of Cargnacco ( カルニャッコ神殿、カルニャッコ教会)

第二次世界大戦中にロシア遠征で戦死し、行方不明になった人々を追悼するため、ウーディネの南にカルニャッコ神殿が建設されました。
ロシア遠征での生存者は1945年以降に帰国しています。行方不明者は約10万人、捕虜収容所で約7万人が死亡したと言われています。

カルニャッコ神殿は1949年から建設が始まり、1955年に献堂されました。
ベルリンの壁崩壊と、イタリア政府とソ連の合意によってロシア戦線で戦死したイタリア兵の集団墓地などが捜索され、ロシア、ウクライナ、ベラルーシなどから約11000人の遺体が返還されたそうです。

3000人以上は親族に届けられ、1993年に拡張された地下納骨堂には8000人以上の戦没者の遺骨が埋葬されています。

内部は広々としていて、私達以外には観光客はいませんでした。
祭壇後ろにあるピエタ (磔刑後のキリストを抱く聖母マリア)は画家のフレッド・ピッティノの作品 (図像) で、1956年~1957年にモザイクで制作されています。

左側の壁にはロシアの雪原に出征していた「アルプス兵の退避」のモザイク画あります。右側の壁には、左側から「帰還を待つ家族」、「投獄される兵士」、「兵士の帰還」のモザイク画を見ることができます。

祭壇の後方部には、兵士達から手紙、写真や遺品などが展示されています。
クリスマスに家族にあてた手紙は、家族への想い、危険な状況ではなく、無事でいるなど書かれていました。
地下の納骨堂の近くから見上げると、祭壇後ろのピエタのモザイクが見えます。

左側のステンドグラスは、下方に描いてあるパンのスライスが写っていませんが、投獄されている兵士が順番にくじを引いて、パンのスライスを分けているシーンです。真ん中は、慈悲の聖母がマントの下で歩兵を守っています。右側の作品は収容所でのミサの様子が描かれています。

上部にあるフレスコ画は、遠征に帯同していた司祭が、自らも倒れる前に瀕死の兵士や負傷者達を祝福している姿を描いています。

第一次世界大戦の納骨堂と同様に、このカルニャッコ神殿も戦争を考えさせられる場所となりました。

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⑩ ファーイースト映画祭が開催される ”テアトロ・ジョヴァンニ・ダ・ウーディネ”

ウーディネでは、毎年4月下旬からファーイースト映画祭が開催されています。
2022年の映画祭開催中に、メイン劇場であるテアトロ・ジョヴァンニ・ダ・ウーディネの前を通りました。

アジアの映画を上映する映画祭で、日本、韓国、中国、フィリピン、タイなどの映画が上映されます。映画監督や俳優などの舞台挨拶があり、映画祭期間中は、アジアにまつわるイベントが行われます。
2026年のプログラムを見ると、日本からは役所広司さんや、MEGUMIさんなどが来られてたようです。

2027年は4月23日~5月1日に開催されるようです。

ウーディネファーイースト映画祭ホームページ: Udine Far East Film Festival

ウーディネの歴史地区は歩いて観光できるので、また行ってみたいと思います。
次に行く機会があれば、ファーイースト映画祭で日本の映画を見てみたいです。

トリエステ滞在中の観光はまだまだ続きます!

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