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イストリア半島にあるポレッチ in クロアチア

イストリア半島にあるポレッチは、イタリア語ではパレンツォ(Parenzo) と言います。

ポレッチはアドリア海沿いの町で、イストリア半島の西側にあります。
ヴェネツィアの南にあるキオッジャ (Chioggia) の東側の対岸にあります。

私達は車で行きましたが、ヴェネツィアからポレッチまで5月~9月の間はアドリアティック・ラインズ (Adriatic Lines) の船が出ていて所要時間は約3時間半です。

車でイタリアからポレッチへ行く場合は、イタリアの東端にあるトリエステから国境を越え、スロベニアを通過してクロアチアへ行きます。イタリアとクロアチアの高速道路は、日本の高速道路と同じように利用した区間を出口で払います。
今回は利用しませんでしたが、スロベニアの高速道路はオーストリアと同じで事前にインターネットかサービスエリアで利用する期間(1週間、1か月、1年)の利用料金を払います。
高速道路でイタリアからスロベニアへ入国する場合は、スロベニアへ入国する手前にあるサービスエリアにある店で利用料金を払い、シールを受け取り車のフロントガラスに貼ってからスロベニアの高速道路を利用することになります。トリエステからスロベニアの首都リュブリャーナやクロアチアの首都ザグレブに行く場合は便利です。

イストリア半島へ行く場合に通過するスロベニアでは、高速道路は通ってないので約30㎞の道のりを一般道路で行き、その後クロアチアへ入国してから高速道路を利用しました。

イタリアへ戻る時(日曜日の午後)にスロベニアの一般道を通りましたが、かなり渋滞していました。

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ポレッチ(Poreč )

ポレッチの歴史地区は、紀元前2世紀にローマ人によって建設されました。西ローマ帝国崩壊後はビサンツ帝国 (東ローマ帝国)の支配下になりました。


13世紀にはヴェネツィア共和国の支配下に入り、一時期オーストリア帝国やナポレオン時代にフランス帝国になりましたが、第一次世界大戦後はイタリアへ併合されました。

第二次世界大戦後のパリ講和条約によって、ポレッチはユーゴスラビアへ割り当てられました。
1991年にクロアチアはユーゴスラビア連邦から独立し、ポレッチはクロアチアの一部になりました。

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ポレッチの歴史地区

ポレッチの歴史地区の入口に自由広場 (Trg Slobode) があります。そこに18世紀に建てられた天使のマリア教会 (Crkva Grospe od Anđela)があります。
教会の前にある旗はポレッチ市の旗です。
自由広場にはカフェやレストランが並んでいます。

歴史地区のメインストリートになるデクマヌス通り (Ul Decumanus) には、 五角形のペンタゴナル塔 (Pentagonal Tower) があります。1447年にゴシック様式で建てられました。塔の壁の上部にヴェネツィア共和国の象徴である翼のあるライオンが刻まれています。
このペンタゴナル塔は15世紀に見張りのために建築された3つの塔のうちの一つです。現在はレストランになっています。

デクマヌス通りは、レストランや土産屋などいろんなお店が並んでいます。
アクセサリーもかわいいものが売っていたので、買ってしまいました。

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世界遺産のエウフラシウス聖堂 (Eufrazijeva bazilika)

聖エレウテリウス通り (Ul.Svetog Eleuterija) を右へ曲がるとエウフラシウス聖堂の入口の門が見えます。
鉄の扉の上にはイエス・キリストのモザイクがあります。

2世紀末、キリスト教徒達が司教の家に集まっていた場所が初期の教会になりました。その後5世紀に教会の隣に大きな聖堂が建てられましたが、荒廃のため6世紀中頃に建て替えられたのが現在の聖堂です。

初期の教会は、古代ローマ建築の遺跡として残っています。
モザイクはおそらく4世紀後半に制作されたものだと推測されています。

聖堂の中へ入ると、コーラスの練習をしていました。
正面には美しいモザイクがあります。イタリアのラヴェンナの芸術家も介入しているので、ラヴェンナの教会のモザイクと似てる部分もあります。

一番上にあるモザイクは、中心がイエス・キリストで、左右に6人ずつ使徒が描かれています。
中央にあるモザイクの中心には、玉座に座る聖母子が描かれています。聖母子の横には、ポレッチの最初の司教、聖マウルスが聖堂の模型を持っている姿が描かれています。

天蓋は1277年に制作され、6世紀以前に使用された大理石の柱で支えられています。天蓋の正面には受胎告知のシーンが描かれています。

床下には6世紀に制作されたモザイクの断片を見ることができます。

今回は時間外だったので聖堂とアトリウムを見ただけでしたが、初期のビサンティン建築の教会、特に聖堂内のモザイクを見ることができたので大満足です。
次の機会があれば、鐘楼に上ってイストリアの景色を見たいです。

聖堂を含む宗教施設群は、1997年に「ポレッチの歴史地区にあるエウフラシウス聖堂の司教建造物群」として世界遺産に登録されました。

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ドリブラ公園 (Park J.Dobrila)

エウフラシウス聖堂から、西へ行くとドリブラ公園があります。

小さな公園で、ベンチがあったので休憩しました。
公園の入口はローマ時代のアーチで、城壁の一部と一緒に残っています。

この公園の名前の由来になったユライ・ドリブラ (Juraj Dobrila) は、クロアチア人の司教で、クロアチア人、スロベニア人などの民族的権利を主張した人物です。ユーロが使用される前、2022年までクロアチアで使用されていた通貨クーナの10クーナ紙幣の表面に描かれていました。

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ネプチューン神殿遺跡 (Temple to Neptune Remains)

小さな半島の海に近い場所に紀元1世紀、イストリアで最大の神殿で、海の神に捧げられたネプチューン神殿があったと言われています。
現在は一部の壁や柱、断片しか残っていません。

古代ローマ時代は、このネプチューン神殿の東側にある、現在のマラフォール広場(Trg Marafor)を中心にフォーラム(政治、商業、宗教などの中心地)があったそうです。

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ロマネスク様式の家 (ROMANIČKA KUĆA)

マラフォール広場の近くに黒いバルコニーのあるロマネスク様式の家があります。
以前は博物館になっていて、内部も見学できたそうです。

このロマネスク様式の家は13世紀に建てられ、内部は仕切りの壁がなくシンプルな間取りだそうです。
この辺りは第二次世界大戦時に爆撃を受け、現在はこの家だけ残っています。

海沿いにはボート乗り場などがあり、イルカウォッチングもあります。
写真をみると明るいですが、サマータイム実施中の5月末の19時半です。
海辺は思いのほか人通りが少なかったです。

中心地に戻る途中にあった円形の塔、オクルグラ・クラ (Okrugla kula) がありました。ペンタゴナル塔と同様、防御のために1474年にヴェネツィア共和国によって建てらました。海を見渡せることから、オスマン帝国の脅威から守るための要塞になっていました。

塔の屋上はバールになっていて、ポレッチの港が見渡すことができるそうです。

バール トッレ・ロトンダのホームページ:Torre Rotonda

ポレッチは小さな町で、特にイタリアのラヴェンナを思い起こすようなエウフラシウス聖堂が一番の見どころです。
イルカウォッチングをしてみたいのですが、私は鮒酔いを克服できてないので、まだ行けてません。。。いつか野生のイルカを見てみたいです。

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